自撮り

「国民に心を寄せる」ことは「庶民のように振る舞う」ことと必ずしも一致しないと思います。
大災害の被災者のように最も恵まれない境遇にいる方々に心の世界で手を差し伸べることも皇室の重要なお仕事ではないかと筆者は個人的に思っております。

居酒屋店員の彼


雑居ビルの一階の
狭い倉庫を少し改装しただけの居酒屋で
私の彼は働いている

高校を出てしばらく経つまでは
ただの田舎の不良少年だったけど
今はまじめに働いている

不良時代は怒ってばかりで
私も暴力振るわれたりしたけど
今は
お客さんの「鶏肉が旨い!」という、
笑顔を見るのが嬉しいらしい
たしかに彼はそこは変わった
でも
子どもの頃からの
赤ちゃんみたいに楽しそうなときの顔は
今も少しも変わらない

調理場の火と煙と
店内のBGMまみれになって
私の彼は今夜も
肉と野菜に包丁を入れ続ける

愛犬すずへの手紙


すずちゃんへ
元気にしていますか
おにいちゃんも元気にしています
天国には
おばあちゃんらもいはるやろ?
みんなにかわいがってもらいや

すずちゃんへ
すずへの気持ち
いっぱい書こうとしたけど
どのことばもなんか違う気がして
何も書けませんでした
でも
またいつか会えたらうれしいです
ほな、また

隣人たち


鉄筋コンクリートのマンションでも
隣部屋のおじさんの大きな咳のゲホゲホが
締め切った窓を振動させて聞こえてくる

その隣の民家のおじさんは日曜大工
電気ノコギリをジージャーうならせて
NHKのニュース速報が聞こえない

その近所のおばさんは一日中外にいる
犬の散歩やら自転車で外出やら立ち話やら
もし家の中に居場所がないとしたら気の毒

僕はといえば
これらの怪奇現象になすすべもなく
息を殺して暮らしています

もしかしたら
あなたの町で暮らしています

一人の人間としての苦悩だったのかもしれない


「広島市民には気の毒ではあるが…
…やむをえなかった」くらいなら
巷のガキでも言えると
有名な文学者たちは口をそろえた

でも
戦前も戦後も象徴にすぎなかった存在の、
ガキのような言い方しか許されなかった、
人間としての苦しさを知ろうとした人は
ほとんどいなかった

「私の責任だ」と言うのが可能だったなら
ある意味どんなに楽だったろうか
さりとて
「当時の内閣の決断が遅かった」などと
政治的発言をすれば憲法違反になる

この世の誰も何も語れず、
この世の誰も心の声に耳を傾けることがない、
そんな国に僕らは住んでいます

そして誰もいなくなった


どこにでもいる普通の父親だった人が
十年に及んだ懸命の捜索の末に
幼いわが娘を殺した犯人を見つけ、
今、その男を殺そうとしている
その時その場に居合わせた俺は
この父親を止められるのか
止める資格があるのか

俺は止めないと思う
しかし
裁判員になったもう一人の俺は
この父親を殺人犯として裁かねばならない
俺にこの人を裁けるのか
そんな資格があるのか

法律があるから?
では何を根拠に法律が存在できるのか
そんなものただの作文ではないのか
俺にはわからない
答えが出せない

ひとつだけ確かなことは
答えが出ないとわかっているのに
それでも「答え」を出し続けねばならない、
人間とはそういう生き物だということだけだ

そして誰も答えを出せないまま
無意味な時間だけが過ぎて
いつかみんな死んでいく
みんな消えていく
人間たち